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岸和田簡易裁判所 昭和46年(ろ)104号 判決

主文

被告人は無罪

理由

一、公訴事実の要旨

被告人は、昭和四六年四月一一日施行の大阪府知事選挙に立候補し当選した黒田了一の選挙運動者である。

被告人は同候補者に当選を得しめる目的で、昭和四六年三月二五日大阪府泉大津市東雲町七番四一号、泉大津市医師会館において黒田候補の氏名、写真、経歴、公約などを記載した選挙運動文書約三一一枚を医師川口明夫他七名に交付し、もつて法定外選挙運動文書を頒布した。

二、公訴棄却の主張にたいする判断

弁護人は公訴権の濫用を理由とする公訴棄却の主張をしているけれども当裁判所はその主張を採用しない。

三、証拠の標目(省略)

四、被告人および弁護人の主張

右判示部分については被告人および弁護人も争わない。

法定外選挙運動文書の頒布ということに異見を有するので左に主張の要旨を掲げる。

1. 被告人が所属している「大阪府保険医協会」(以下「協会」と称する)は保険医の生活と権利を守り、および国民医療の充実向上を目的として、大阪府下の開業保険医が自主的に組織した団体である。

同「協会」には昭和四六年、すなわち大阪府知事選挙が施行された当時、府下開業医の約六〇パーセント、約三、〇〇〇名が会員として加入していた。

「協会」は知事選挙に際し「協会」の目的に理解を示し、その実現に協力を期待できるという理由で、昭和四六年三月一六日、総会につぐ決議機関である評議員会で黒田候補を支持する提案がなされ、その提案は可決された。

評議員会では選挙についての運動方針をも討議し、選挙法上の確認団体として届出のなされた「明るい革新大阪府政をつくる会」(以下「明るい会」と称する)へ「協会」が幹事団体の一つとして加入すると共に、黒田氏をはげます学者、文化人、医師、宗教者、法律家の会である「五分野の会」にも参加する。

更らに各行政地域別に組織された「革新府政をつくる会」にも協会本部ならびに協会員各個人が参加し、地域ごとに活動を強め、各地域においても協会本部会議や小集会、こん談会を開き、黒田府政実現のため協会組織をあげて選挙運動に取り組む、「協会」およびその各構成員はそれぞれに創意を発揮して運動員を組織し、その組織を拡大していくため活動することを確認した。

ちなみに、協会事務局としては加入保険医の約半数が運動員として組織され活動している旨の報告を受けている。かくして「明るい会」が選挙運動の母体として結成されたことは、その会に加入する各団体および個人が運動員となり、更らに多くの人を運動員に転化させて「明るい会」に結集させることを可能にした。

2. 他方泉大津市においては「明るい会」の選挙対策組織として同年三月二二日「明るい革新府政をつくる泉大津市民の会」(以下市民の会と称する)が組織され、泉大津市における各種団体、個人が参加して地域における選挙運動をした。

泉大津市の保険医協会員は、同年三月一八日夜八時頃、一二、三名の有志が集つて協会の方針を確認し、有志全員で協会世話人会を組織し、同月二五日その頃企図されていた健康保険法改正問題を討議する機会に、協会方針に沿う選挙対策のための泉大津市保険医協会員の会合を持つた。

当日泉大津市東雲町の泉大津市医師会館第一講堂へ集つた一〇名余はいずれも黒田候補の運動員として活動することを約し渉外班(外部との連絡)、対内工作班(当日欠席した医師を運動員にする工作)、対外工作班(泉大津市外の医師への働きかけ)および会計(資金、カンパ関係)の班を組織し、各自はその何れかを分担して活動することとなつた。

協会からは当日の集会で活用し、運用されたいということで、「部内資料」と印刷してある支持候補者の経歴、抱負等を記載した、いわゆるミニ経歴書、ポスター「誰にでもできる選挙運動」という新聞紙大の説明書が午前中被告人方医院へ届けられて来た。被告人はそれらを会場に用意しておいた。出席した会員はその資料を活用しながら運動することを確認し、各自が適量枚数を持帰つた。

ミニ経歴書、ポスター等の作成およびその正しい運用については協会の理事会で討議し、又弁護士の専門的意見も取り入れた。すなわち、右資料はあくまで部内資料であるから、必ず運動員間で授受する。そして運動員が更らに運動員を組織していくためにその資料を活用しなければならないという基本方針が確立されており、その方針は支部選出の理事、支部のない地区は評議員を通じて下部へ正確に伝えられていた。

3. 被告人は「協会」に所属する保険医で、評議員の地位にある。同人は三月一六日持たれた評議員会に出席し、泉大津市で開かれた協会員有志の集りでは世話人会の代表者に推され、三月二五日の前記集会では渉外担当ということになつた。

被告人は右のような事情で、「協会」との連絡に当る一方、世話人会代表として「市民の会」へも参加して意見を交換する等、本件知事選挙においては終始、泉大津市における協会員の選挙運動の中心的、主動的役割を果して来た。

五、当裁判所の判断

選挙の際、特定の団体が或る候補者を支持し、その当選を目的として積極的に活動する場合、当該選挙運動が組織的且つ計画的に展開されるであろうことは道理である。

言葉の便宜上、「協会」又は「明るい会」等中央部の組織を上部組織と、それに対応する各地域の組織を下部組織と表現する。

まず上部組織が基本原則を定立し、選挙運動に関する方法を研究討議し、得られた結論を各地の下部組織へ、更らに下部組織からその各構成員へと伝達していくであろうことは、当該団体が有機的組織体として統一的に活動するものである以上、これも当然のことである。

本件に即していえば、上部組織である「協会」等が知事選挙における複数の立候補者中、黒田候補を支持し、そのための選挙運動を協会組織として行なうという基本原則を定立し、更らにその運動を効果あらしめる各種の、たとえば同一目的を標傍する各団体との連けい、および各地域における集会を持つとかに始り、ポスター等各種の資料を作成し、運動のために活用するということなどの具体的方法を研究して下部組織へ伝達し、しかしてそれに即応した運動を促していくということである。

この場合、選挙運動は無制限に許容されているものではなく、非合法とされ、規制されている部分のあることは法規上明らかである。したがつて「協会」というようにその規模が大きく、有意義な職分を担当しており、それゆえにその行動の及ぼす社会的影響力というものが強く、しかも社会的、文化的に高い評価を得ており上命、下服の関係にないということなどの意味において独立的要素の高い構成員によつて組織されている団体としては、当然にたとえばビラ、ポスター等を選挙運動の利用に供するとしても、その正しい運用ということには法規的にも考慮を払い、いやしくも違反にわたることのないよう下部組織へ周知させる配慮をするであろうことは推測できる。

その推測は取りあえず証拠を考慮の外においた場合でも合理的であると思うのであるが、被告人および弁護人の右主張は前掲の各証拠によつて当裁判所もこれを認める。

ところで、川口明夫その他にたいする検察官調書の各記載、その記載内容が検察官による本件主張に基礎を提供しているのであるけれども、それらは一見検察官の主張を支持しているようにみえる。

思うのに、その理由は各供述者が当初真の被疑者が誰であるか、および被疑事実について正確な認識を持つていなかつたことに期する。そのことは証人奥野藤一郎等の当公判廷における各供述並びに右各調書の頭書にも被疑者名がないことなどによつて推測できる。

各供述者は調書作成当時、自分が当該違反の客体として取調べを受けており、場合によつては逮捕される事態になるかも知れないという危惧に強く支配され周章していたことは右供述および前掲各証拠に十分現われている。

かゝる切迫した状況のもとで、各供述者を支配している心理は、自己の違反の成否および当面している事態をいかに避けうるかということであろう。彼らがビラを持帰る際、被告人がその運用に関し、上部組織から指示されたとおりに注意し、配慮した事実は、供述を求める側の発問がない限り供述として顕現することはあり得ないのである。

当人らとすれば、違反にならない運用方法ということについて、被告人が注意を与えたという事実の存在は、反つて違反であると指摘されている状況を強める逆効果として不利益に影響することはあつても、決してその反対ではあり得ない。かゝる考慮は各供述者において直観したことであろう。

右のことを具体例によつて指摘すると、浜田邦夫の「会合の翌日往診で医師会へ寄りますと、他の者があのビラは待合室へ出すと違反になるらしいという話が昨晩ビラを貰つた席であつたということを聞いたものですから」という供述、川口明夫の「当時右のビラを私達の手からどのようにして患者さんに渡してくれ、という話が岩崎先生からあつたのではないかと思いますが」という供述などがそれを裏付けている。

それらの供述は、反面ビラの運用について被告人が指示を与えたという主張の根拠にもなるものではあるが、とにかく両名とも当日の会合には彼ら自身が出席しており、しかも人員も一〇名余の小規模な会場における出来事である。彼らは本来、被告人から直接聞いた話の内容およびその存在を第三者的あいまいさで表現しなければならない立場ではないはずである。

つぎに、各供述者が本件選挙運動に関し、運動員となつたことは前認定のとおりであるが、その旨の供述も右調書には現われていない。その事情は以下のように解釈できる。すなわち違反事実が各供述者のレベルで捉えられている場合、換言すれば各供述者がビラを所持していること自体又は故意もしくは不注意でビラを待合室のカウンターの上に置いていたことが違反であると指摘されているのであれば、彼らが運動員でありそしてビラの授受が運動員同志でなされたものであると否とにかゝわりなく、それは彼らにとつて違反とされるのであろうから、運動員であること、およびそれに関聯する事項についての供述は不要に帰するのである。

右各調書で各供述者が供述を求められている事項は、要するに外形上は被疑者としての彼らが、どのような事情で違反文書を所持するに至つたかということにすぎない。供述を求める際被疑者は彼らではなくて被告人であること、被疑事実は被告人である岩崎が彼らに当該文書を頒布したことであり、その事情について供述を求められているのであるという、正確な認識が供述する側に前提され始めて、被告人と各供述者の相互関係において彼らも運動員となつたこと、および文書授受の正しい供述が期待できるのである。

以上を要するに、検察官が各医師に供述をもとめた際、彼らの供述中にそれを推測させる供述が断片的に現われているにもかゝわらず、本件選挙に関し、「協会」等の上部団体から各供述者に至るまでの、右認定過程に照応する経路が考慮の外に置かれ、それらの事情が捨象された結果、選挙用運動文書の頒布という構成要件的表現に短絡しているのがその原因であると思われる。

被告人は本件審理の過程において、現象的な各行為を広い文脈の中で捉えるべきことを主張している。当裁判所もその主張を正しいと思う。凡ての現象は個別的、断片的把握に終始するのではなく、綜合的、有機的および相互関係の中に位置づけてこそ、その正しい意義に到達しうるものと信ずるからである。

したがつて右調書に記載されている「ビラを岩崎先生からもらつた」「各自が適量枚数持帰つた」「数人が手分けして配つてくれた」等の表現は、いずれが正しくて、正しくないのか、或は何れも正しいのであるかはとにかくそれは被告人のいう広い文脈中に位置づけた場合、運動員間における部内資料の占有移転、すなわち授受の各形態に関する表現にすぎないものと評価することができる。

又「特に支持する人がないという人に頼んで渡した」という供述も、以上の文脈中において把握すると、運動員になることを説得したということの余り器用でない表現であると理解できる。来院患者数に比してビラの交付枚数が比較的少ないこともかゝる理解の一助となる。

したがつて、以上の解釈が或は疑いに止まるとしても、当裁判所はそれを合理的な疑いであると信ずる。右各供述調書の記載のみでは、検察官の主張を基礎づけるべく、かゝる合理的疑いを排除する程、それ程に強い証拠力は認められないのである。

しかして、不注意又は仕事に支障があるという理由によつて、ビラの取扱いに関し、待合室のカウンターにそれを置いてあつたというような、指摘される状態が各供述者の側に見られたとしても、それは被告人の関与しないところであり、論理上同人の責任には影響しないことである。

六、むすび

被告人および弁護人はその主張をおゝよそ次のとおり結んでいる。

前記三月二五日の会合で運動員用の部内資料として、支持候補者のミニ経歴書、ポスター等が会場の机に用意され、各自がそれを持帰つたのであるが、右資料を「協会」から送付する旨被告人に連絡があつた際、協会事務局担当者から資料の運用についてはくれぐれも違反にならないよう説明がなされ、被告人もその点については積極的に質問を試みたうえ必要事項をメモし、右会合において、被告人も右協会事務局の説明に基いて具体的な注意を与え、出席員からも反対に質疑がなされたうえで諒解して持帰つた。

したがつて、右資料は運動員となつた各自が自ら使用し、および更らに運動員を組織していくための内部資料としてのものであるから、被告人としては川口明夫らの医師に訴因記載のように法定外選挙運動文書を頒布したものではなく、あくまでも運動員同志の内部行為であるから、何ら公職選挙法一四二条一項三号に違反するものではなく、同条の構成要件に該当しない。

当裁判所も右と結論を同じくする。

七、法令の適用

刑事訴訟法三三六条

八、憲法違反の主張にたいする判断

その必要がないからしない。

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